Impossibleという言葉すら 「I’m possible」と、言ってるんだ。

コラム

詰め込んだ分だけ重くなる鞄。

そんな当たり前のことが、今日はなんだか気になった。

今年も1年、私の代わりに頑張って、
知識を持ち歩いてくれた鞄は、
壁に倒れかかるようにして、
部屋の中で佇んでいた。

持たなくてもいい重い荷物までも、
持たせていなかったかな。

誰に頼まれもしていないのに、
一生懸命ぶらさげていなかったかな。

伝えたい想いの数だけ、
重い思いをして、電車に運ばれる毎日を、

この鞄が頑張ってくれた分、
私の頭の中には、
どれだけの知識が定着したのかな。

季節を持たない雨が、
ちょっと面倒だって感じた日、
ただ近いだけの近道を、
迷わず選んで帰ってしまった日、

鞄が重たくなかったら、
地面を奏でる雨の音を聞き分けながら、
スキップ出来たかもしれないし、

到着時間は分からなくても、
知らない道を選んで帰って、
知りたかったことに出会えていたかもしれないな。

知りたい想いを詰め込んで、
重くなった鞄は、
持って歩いたからって賢くなれる未来道具じゃないんだな。

1929年のこの頃、
女性用の鞄はハンドバッグしかなくて、
片手がふさがってしまうことに不便さを感じていたココシャネルは
ショルダーバッグを生み出した。

1854年、
荷造り用のトランク職人だったルイ・ヴィトンは
「もっと遠くまで旅をしてほしい」と願いを込めて、
芸術と軽量を叶えたトランクを作り出した。

見たことのないものさえ、
触ったことのない素材さえ、
誰かの頭の中にできた設計図によって、
未来だった「今」は創り出された。

もしかしたら、大切なのは、
膨大な知識や熟練された技術よりも、

逆さに振ってもこぼれる事の無い、
色音温度…
全てが、はっきりと説明できるくらいの、
明確な「イメージ」なのかもしれない。

何かを創ってしまう人たちは、きっと、
星空を見上げても、落ち着かなかった、
この胸の高鳴りのままに、進んだ人たちなんだろうな。

頑張った分だけ近づいた距離。
だけど、物足りなく感じるのは何でだろう。
あきらめた分だけ軽くなるはず。
なのに前よりしんどいのは何でだろう。

やりたいことがなかなか出来ない時は、
やりたくないことで手一杯になっている時なんだろうな。

「手放す」と「妥協」は、似ているけど、
違うものだと気付けずにいるときは、
「謙虚」と「臆病」を間違えている人間になっているような気がしてる。

誰にも明かさなかった決意で、
選択しなかった夢で、
今の私は出来ている。

いつか、やり直そうと思う時が来るのなら、
思い切って今、
その夢のトランクを開いてみようって、
ワクワクする音を聞き取れるようになった。

氷点下寸前の冷たい夜明けに浸っていないで、
本当の夢を、可能性と一緒に抱きしめたいと、
自分のひとりぼっちに気が付けるようになった。

くっつきそうでくっつかない、
憧れと現実のプラネタリウムさえ、
どんなに暗くても、輝いている。

枯れそうな今日だって、
枯れないで頑張ってる。

泣きそうな明日だって、
泣かないで笑ってる。

不可能なことなんて、きっと、
何ひとつないをだろうな。
Impossibleという言葉すら
「I’m possible(私にもできる)」と、言ってるんだ。

「経験」とは、私に起こったことじゃない。
起こったことに対して「私が」してきたことなんだ。

壁が扉に変わることを望みながら、
その扉を叩き続けたって意味がない。

何年経ったって、
壊さない限り壁は壁だし、
ノブを回さない限り、扉は扉なんだ。

計画のない目標は、
ただの願い事にすぎない。

伝わらない会話は、
ただの独り言にすぎない。

変わりたいと思わなければ、
変われない。

慌ただしく過ごしていると、
頭はきっと嘘をつく。

よくできた噂に惑わされて、
楽しいことより、
いいか悪いかで選び始める。

それは本当にいい選択なのかな。
「幸せ」と「満足」は似ているけど、違う。
全然、違う。

人生を楽しくするのは、
知っていることより、
まだ知らないことなんだよな。

毎日生まれ変わるこの世界も、
今日を楽しみに生まれてきてるに違いない。

泣くことをみっともないと言う人がいて、
泣くことを美しいと言う人がいた。

どっちが正しくて、
どっちが間違いだなんて思えない。

だから自分の価値観には妥協しないで、
泣いたり笑ったりを繰り返していいんだ。

控えめに言っても「素晴らしい」、
そんな365日を迎える準備をして、
ジングルベルを鳴らしたい。

来年は、後ろ姿でも誰だか分かるくらい、
オーラのある人になりたいな。

追伸。

今年は、私の言葉の居場所を、
ここに作ってくださったみなさま、
そして、そんな言葉たちを読んでくださったみなさまのおかげで、
この言葉たちの居場所が、ポッと、暖かいものになりました。

私を含めた、たくさんの方には、
これからいろんなことが訪れると思います。
死ぬほど幸福な日もあれば、笑えるくらい不幸な日もある。
世界を閉じたくなるくらい哀しくなることもあれば、
涙が出るような美しい景色だって見れる。

この世界は、そういうことを
ぜんぶ味わうために創られてるんだと感じています。

どうか、誰かの現実と憧れが、
いつか、くっつきますように。

よいお年を、お迎えください。

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【執筆】

kubota kazuko
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「地球を眺めながらコーヒーが飲みたい」その夢を実現するために、スターバックスの世界5店舗目のコンセプトストア、Tokyo RoartaryのMainbarで、バリスタをしている。個人では、1000年後の徒然草のようなエッセイを綴ったInstagramが、開設2年でフォロワーが3万人を超える。安心と興奮を同時に与えてくれるような透明感のあるその文章は、文章を読まなくなった、書かなくなった世代へも影響を与え、企業誌やWEBマガジンでエッセイストとして執筆をしている。「誰かの空を見上げるキッカケになりたい」と、宇宙就活や宙フェス、芸術祭などのの実行委員を務め、これからの世代へ「星空を楽しみたくなる」時代や文化を作り出すことを目指し続けている。

 

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