フリーダイバー/エッセイストkubotakazuko『#人生宝探詩』

コラム

初めて見た流星群は、獅子座流星群だった。

あの頃、車の免許も取り立てで、

進学という道を選ばなかった私は、

初心者マークを車だけじゃなくて、

周りの大人がまだ守ってくれそうな気がしていて、

「社会人」という肩書きにも初心者マークを付けていた。

「諦めた夢の続きを、教えてください。」と、他力本願でもいいから、

何か目指すものが欲しくって、

あの秋の終わりの澄み切った星空で遊ぶ、

星屑たちに願い事をかけようと

どこまでが海でどこからが空なのか分からないような暗闇まで

仲間と一緒に車を走らせ、砂浜の上に寝そべっていた。

私が育ったところは九州の福岡という土地だった。

綺麗なお姉さんたちがたくさんいる「中洲」という場所に近いとは思えないような、坂道ばっかりだけど、近所のおばちゃんが「おかえりー」と声をかけてくれるような、長閑な風景の中で育った。

思い返せば、一人っ子だったからか、

一人遊びが好きだったし、上手だったと思う。

そんな私が近所の友達に誘われて行ったスイミングスクールの体験入学。

今振り返れば、それが私の転機だったんだと思うんだ。

「うちはお金がないから」。

それが私が育った家の大人たちの口癖だった。

今まで何ひとつ欲しいものをねだった事も、

記憶のある限りでは、意識的に、

大人に「わがまま」と言われそうなことを言葉にすることを避けて通ってきていた。

そんな5歳の頃の私が

初めて親に頭を下げて頼んだことが「水泳を習わせてください」だった。

もちろん、「うちはお金がないから」と、きっぱりと断られてしまった。

普通だったら、この物語はここで終わりを迎えてしまうのだろうけど、

諦めの悪い5歳児は、それから約2年間、

親の機嫌の良さそうな時を狙っては

頭を下げて「水泳を習わせてください」と頼み込んでいた。

でも、もう、それも日常になりそうで、

このまま、あと何年も同じことを言うのかなと、心が折れそうになっていた暑い夏の日、

テレビをつけると、そのブラウン管の向こうには、

まだ聞いたこともない国で開催されている、

オリンピックが映っていた。

そこには、大きな体をして、太陽の日差しを燦燦と浴びながら、

水しぶきを光らせて泳ぐ水泳選手の姿が映っていた。

違う部屋の隅っこで、なにかをしていた母親を

この水泳選手たちの水しぶきがブラウン管を突き抜けて飛んできそうなテレビの前に連れてきて、「私は10年後、必ずオリンピックに出て、金メダルをとって、お母さんが欲しいものとか食べたいものとか、いっぱい買ったり食べたりできるくらいにお金持ちになります。だから水泳を習わせてください。」と、頭を下げた。

それから一週間後、私はあのスイミングスクールのプールサイドから足をプールに入れてバタ足の練習をしていた。

たった5年の人生だったけど、

ゲームも漫画も小説もすぐに「終わり」が来てしまうのに、水泳だけは違っていた。

それから10年という月日の中で、

同じ歳の子が出られる1番上の大会には、

常連のように出られるようになった。

県で1番になったあとは、九州で1番になった。

西日本で1番になったあとは日本で…3番になった。

日本一の壁は、心のどこかで、

一生追い越せない私の敵になりそうだった。

だけど

律儀にも母親と交わした約束を守りたかったのか、

もう、そんなこと関係なくて、私自身の壁を壊したかったのか、

いま振り返っても、はっきりとは分からないけど

「勝てない事があきらか」だからって私が「努力しなくていい」理由にはならなくて…

「差が縮まらないから」といって、それが私が前に進まない理由にはならなかった。

そして13年経って、高校3年のインターハイ。

私はあの日、思うように動かない身体に「お願い、最後のレースだから言う事聞いて」って、ムチ打ちながら、200メートルを泳ぎきった。

そして、涙も流れてくれないまま、あの夏の日、母親と交わした約束も守れないまま、達成感もないまま、涙のない泣き顔を隠しながら、プールサイドを後にした。

燃え尽き症候群と言うのだろうか。

喪失感で、それからしばらくの間は

今、すれ違った人の目に、私は映っていたのかな。

透明人間と自分の境界線が分からなくなりながら、

タッチし損ねた駅の改札の警告音が鳴り響いて、

やっと「私は透明人間じゃないんだ」って目が醒める日々の繰り返しだった。

そんな私が、車の免許を取ったことを聞きつけた仲間が、私のそばへやってきて、

「獅子座流星群ってやつが来るらしいよ、見に行こうよ!」と、取り立ての免許をパスポートに流星群を眺めに行った。

そこにはもうすでに何人かの観客が砂浜の上で、流れ星を見つけては、キラキラした声を上げていた。

そんな人たちの側で私は、「今、流れ星が見えちゃったら困る」と、願う願い事もないまま、目を開けられずに、ぎゅっと固く瞑っていた。

そばにいた仲間は、小さく笑って

「夢がなかったら、夢を持つことを夢にしたらいいんだよ」と、優しく呟いてくれた。

思い切って目を開けると、

その星空は、宝石箱をひっくり返したかのような、

何かの図鑑でしか見たことのないような景色が私の目の前で輝いていた。

流れていく星たちと、

いい勝負だなってくらいに、

私の目からも何かが流れていった。

「夢も思い出も、何度だって作り直せばいいよ」って、仲間はそう言ったあと、

小さく小さく笑ってくれた。

その横顔に、どこかホッとして、

今日のこの思い出から始めようと、

私の中の私と指切りをした。

わりと早く何者かになりたくて、

あせる気持ちに溺れていた。

何度ふり出しに戻ればいいのかと、

途方に暮れていた。

その気持ちはこれからも消える訳では無いのけれど、

大人になってからは

「好きなことをもっと好きになりたい」と願うようになった。

そう思えるようになったから、

今、言葉を綴ることを生業にして、

遠く離れた誰かに、もしかしたら

この言葉たちが届いてくれるといいな、と願いながら、ずっと

1000年後の徒然草のようなエッセイを綴っている。

あの時のあの仲間は、

あれから何度かの獅子座流星群を一緒に眺めて、

今は生涯のパートナーとして、私と家族になってくれた。

学校も行かず、水泳だけをしてきた10代を駆け抜けて、

進学も就職もせず、転勤族の夫との結婚生活に

てんてこ舞いだった20代を過ごしてきた。

夢を持つことも、

叶えようと我武者羅になることも、

もう何年も休んでいた私に、

「作り過ぎた未来予想図なんかより、ただ好きなことを、もっと好きになるようにすればいいんじゃないかな。好きを極めたらそれはプロだよね」

ある日、突然、こんな事を呟いた夫の言葉で私の気持ちも長い夏休みから、やっと抜けられそうになった。

プロのサッカー選手は、

ボールを追いかけ続けたサッカー少年だったはずで。

プロの作家は、

日記と手紙を書き続けていたアマチュアだったはず。

30歳、坂本龍馬は薩長同盟のために奔走した。

31歳、ガウディはサグラダ・ファミリアの設計に着手した。

32歳、ゴッホは浮世絵に出会いインスピレーションを得た。

33歳、与謝野晶子は愛する夫を追いかけてパリを目指した。

34歳、ナイチンゲールは看護師として戦場に向かった。

35歳、リンカーンは 自分の家を持った。

36歳、シェイクスピアは「ハムレット」に情熱を注いだ。

37歳、夏目漱石は、作家デビューを果たした。

38歳、ベートーベンは難聴を乗りこえ「運命」を発表した。

39歳、マゼランは世界一周の航海に出発した。

アラサーかぁなんて、

夢を諦めている場合じゃないなと、

気付いたような気がしてきた。

30歳だなんて、

まだ小説の3行目あたりの人生で。

これから先の長い道のり。

まだ選んでいない、新しい道がきっとある。

おさえきれない気持ちが、きっと私なんだと思う。

あの空に輝く、一番星みたいに。

暗闇でなければ見つけられない、

小さな明かりもあると思う。

何もせずに止まっているのは、

ただの道端の石コロかもしれない。

だけど、動いて動いて輝く石は

きっと流れ星だと信じてみたくなった。

自分を信じるか、信じないかで、

人生は大きく変わるんだと思う。

空を飛べると信じてくれた人。

あなたのおかげでたくさん外国に行けます。

ありがとう。

いつからか、

私は「奇跡」という字が大好きになった。

奇跡は起こった人がいるから、

生まれた言葉だと信じてみたくなったから。

「奇跡」の「奇」の字は

「可能性」「大」って、書くんだもんね。

#言葉流星群 #自己紹介

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