「見方」を変えれば「味方」が変わる。

コラム

このあいだ街で見かけた白い靴を、
やっぱり買おうと思っておでかけして、
通りがかった花屋さんで、
かすみ草の花言葉が「私は幸せです」だと知って、
なぜだか、かすみ草を買って帰ってきてしまった。

人生もそんな感じで、
思ったことと、
微妙に違う選択をしながらも、
時間が経って「この道を選んでよかったな」って。

そんな感じで進むんだろうなって想像しながら、
連れて帰ってきた、かすみ草を花瓶に挿した。

起き抜けに、アイスコーヒーじゃなくて、
ホットコーヒーを飲みたい朝が続き始め、
秋の始まりに「冷やす」じゃなくて
「あたためる」の季節がやってきたということを感じている。

ほんのり肌寒さを感じながらも
ビーチサンダルを履いて、
訪れる冬に向けて、
あの白い靴を連れて帰るために、
季節限定のものが
ホクホクしたものに変わり始めた街の中へくりだした。

すると、コンビニの前に、
半袖を着ておでんを食べる人がいて、
ノースリーブで肉まんを頬張る人がいた。

昔は歩きながら何かを食べることが
お行儀が悪い、だなんて言われて来たはずなのに、
今じゃ「食べ歩き」や「TOGO」なんて、
「流行最先端」の代名詞みたいに、
カッコいい存在になった。

普通や常識は、大事だけど、
今守っている常識なんて、
ほんの10年もすれば
「非常識になっているかもしれない」と考えながら、
変化していく日々を前提に生活していくことも、
きっと、とっても大切なんだろうな。

昔にはなかった、
掌の上の四角の中の、
動かない風景や文字列が、
この四角の中の世界に在ることで、
見たことも聞いたこともない出来事ですら、
その情報が「普通」という意味を成す。

そして、いつの間にか、
広い意味を持つ、その「普通」という言葉に、
周りも私も、とらわれがちになっていることを、心の真ん中が知った瞬間、

つながりたくて、離されたくて、半信半疑で。
心があっちこっちに散らばって、
寂しさに気が付いて、淋しくなる。

情報が誘惑が、溢れ過ぎたこの時代の、
勝手に選ばれて、勝手に嫌われたこの街で、
誰かがいつも抜け道に使っている道の上から、
ビルとビルに挟まれた、小さい空を見上げた。

「一日が24時間ていうのは、地球だけの話ですもんね」
「Yuen é a história da Terra apenas 24 horas por dia」

その空の金木犀の香りに、
大好きなブラジル人、初の宇宙飛行士、
マルコスポンテスが、そう言っていたのを思い出した。

「火星の一日は地球より39分長いだけだけど、月の場合は約656時間もあります」

「逆にISS(地球1周90分で回る国際宇宙ステーション)に乗ってたら45分ごとに昼夜が変わる。45分ごとに日の出を拝むことが出来る。」

「宇宙に出たら時間の概念は変わるよ」
「O conceito de tempo mudará se você for para o espaço」

最後に彼はこう呟きながら空を見上げた。

誰も教えてくれないけど、
すごく大事なことがある。

それは、
「大事なことは、実は誰も教えてくれないってことだよ」と、
ポルトガル語がまだ、分からなかった私には、
そんな風に聞こえた気がしたことを
思い出して懐かしくなった。

とらわれがちの「普通」という常識的な在り方と、
憧れながらも嫌われがちな「変わりたい」という感情が非常識的な時代の中で、

「こだわる事」とか「貫く事」と、
「引きずる事」とは、似ているけど、
きっと違って、

「芯が強い」のと「頑固」なことも、
似ているけど違う、

だからって、
「潔い」のと「投げやり」なことも、
似ているけど絶対違うんだろうなって

「優しい」のと「親切」なことは
似ているけど、違うんだよと
教えてくれた人の大きな背中が教えてくれた。

まだまだ長いと、
いつもいつも錯覚しがちなんだけど、
名だたる偉人たちが同じことを言い残して逝ったんだから、
きっとちゃんと「人生は短い」んだと思う。

だから、きっと「普通」に引きずられながら
後ろ歩きを覚えてるヒマはない。

やる気を他人に出させてもらわないといけない人間は、どの道に行っても、いずれ行き詰まる。

すごくキツくて辛いレースでも、
ゴールテープは自分で切るから気持ちがいい。
だから、きっと、誰に背中を押されても
自分でエンジンをかけなきゃ意味がないと思うんだ。

言葉を選んだあげく、間違えたあの日を、
悔しんで俯いていたけれど、
そんな真っ暗な背中を誰もさすってくれたりなんかしない。

あの時に戻れば
上手くやれる訳じゃないことを、
どれだけ早く気が付けるのかで、
見えている景色は変わるんだと思ってる。

誰かや、時代のせいにして、
周りを変えることは、
なかなか労力のかかることだけど、
自分自身のことに関しては、
いくらでも変えようがある。
やるか、やらないかだけ。
そこに 「無理」という基準は存在しないと思うんだ。

「見方」を変えれば「味方」が変わる。

戻りたいと思えるほどの過去があれば、
それを糧に前に進める日が必ず来る。

本当に「やりたい」と、強く願うことは
時として、勇気さえも生むんもんだ。

最悪の意思決定は、
「出来ない」という「諦め」だなって気が付いてから
私の中の嫌いな言葉ランキングに「出来ない」という単語を1位にしたんだったけな。

そうしたら、
「出来ない」数は「出来るようになる」数と同じか、それより多いってことが分かってきた。

季節の変わり目に、
虫の鳴き声が聞こえてくる寝室で、
コオロギかな、スズムシかな、と、
考えていても眠れなくて、
窓を開けて風に吹かれた。

涼しくなってきた夜空に咲いた月が、
自分らしく笑ってる気がした。

この満月でも新月でもない、
名前の付かない普通の日の秋の月に照らされてると、

人生、勝ち負けじゃないと思った。

勝たなくていいんだと思う。
負けなければ、いいんだと思う。

「失敗」したことは、
「挑戦」したってことだってことを、
ちゃんと理解しながら、

勝つ人生というよりは、
負けない人生を積み重ねていけたらな、って。

そんなことを教えてくれた、
普通の日の、秋の月に、
小さくこっそり、指切りをした。

#匿名希望、秋の夜空のふつうの月より

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